ジブリ作品とともに、大人になった。
幼稚園のころには『となりのトトロ』を、小学生になってからは『天空の城ラピュタ』をビデオで観ていた。体調不良で学校を休むとき、リビングで観るラピュタが大好きだった。
9歳のときには『もののけ姫』を劇場に観に行った。戦場のシーンが恐ろしかったのか、1歳下の弟が「気持ち悪い」と泣き出し、途中退場をしてしまった。母は弟に付き添ってロビーへ出てしまったので一人になったが、気にならないくらい映画の世界に惹きこまれた。家に帰り、何度もサンの絵を描いた。
13歳のときに『千と千尋の神隠し』を劇場で観た。千尋が湯婆婆に怒られるシーンではギュっと目を閉じて、ハクには恋に近いような感情を抱いた。映画を観終わってからも3日くらいは世界観から抜け出せなくて、現実とフィクションの境目があいまいな日々を過ごした。
そうしていくうちに、いつの間にか主人公たちの年齢を追い越していった。
“この子が生まれてきたことに対して「あんたはエライときに生まれてきたねえ」ってその子に真顔で言ってしまう自分なのか、それともやっぱり「生まれてきてくれてよかったんだ」っていうふうに言えるのかっていう、そこが唯一(笑)、作品を作るか作らないかの分かれ道であって、それも自信がないんだったら僕はもう黙ったほうがいいなっていうね。” 『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』 宮崎駿 p.343
年齢を重ねていくにつれて、ジブリ作品から遠ざかっていった。『崖の上のポニョ』が公開されたとき、私は20歳だった。作品を観てもイマイチ入り込めず、自分はジブリ作品の対象年齢から外れてしまったのだと気づいた。それまでは、ゆるやかに好きな作品が変わり、主人公たちではなく周囲の人たちに共感をするようになっていたので強くは意識していなかった。
最近になって、インタビュー集を手に入れて読んだ。10年近く離れていたのになぜ、また手に取るようになったのかはわからない。気になって仕方がなかったのだ。主人公に感情移入をするのではなく、創作をする人としての宮崎駿監督に興味を持ったのかもしれない。
こんな形で、ジブリと再び出会い直すとは想像していなかった。まったく同じ場所に戻ってきたわけではなさそうだ。らせん階段のようになっていて、ぐるりと歩いてきた道のりの分だけ視点の高さがちがう。
同じ場所に留まり続けることはできないけれど、忘れたころに戻っているのだろう。風の帰る場所のように。