まだ来ていない、「いつか」のためのテーブル。

「いつか使うかもしれないから…」と捨てられないものは、ほとんどなかった。

過去への未練とか、未来への不安はなるべく手放したかった。何かを管理することが苦手なので、気にかけるものの存在を減らしたいのだ。ていねいな暮らしとはまるで反対な考え方かもしれない。

こんなわたしだが、ローデスクを手放すかどうかはかなり迷った。

そもそも、わたしがローデスクを選んだ理由は、お客さんが来たときに対応をしやすいからだった。床座であれば人数が増えても大丈夫だし、座布団や食器もあらかじめ2個セットで買ってあった。家は親しい人を呼んで、一緒に食事をしたりくつろいだりすることが大切だった。

ただ、ローデスクにはちょっと残念な点もあった。姿勢が保ちにくいし、うしろへゴロンとすれば横になれちゃうのでどうしてもなまけやすい。長時間作業をしていると、腰や首が痛くなってきてしまう。家で仕事をすることもある身としては「限界かも」と感じていた。

一人暮らしのうちにデスクとテーブルを置くほどの余裕はないけれど、それを捨てたら一人で仕事をメインにして生きていく覚悟をするみたいで、グズグズと決めきれなかった。そんなときに、一冊の本を読んだ。

“社会人の一人暮らし、それも部屋があまり広くない場合、学習用の机とイスはなおざりにされやすいものだと思います。しかし、「自宅で机に向かって学習する」やり方は、誰もが最も集中でき、効率のいい学習の形であると僕には強く感じられます。“『発達障害サバイバルガイド』借金玉、p.40

執筆用にデスクを買うと決めたときは、少しだけさみしかった。何かを選ぶことは、別の選択肢を諦めることでもある。

いつか誰かが「来るかもしれないとき」のために、今の仕事を犠牲にするのはもう止めよう。長時間書きものをしたり、本を読んだりするために、カフェに毎回行く必要はない。今の自分に合った環境を整えよう。

もし、二脚目のイスが必要になったら、また買えばいい。困ることはない。今のベストな選択は、今後変わっていく可能性もある。ここはわたしの家なんだから。自分の生活様式に合わせて調整していけばいい。

まだ、捨てる気にはなれないので、ローデスクは折り畳んでしまってある。

記事をシェア

この記事を書いた人