親父の作ったたまごサンド

親父が作るたまごサンドが大好きだった。

半熟気味のスクランブルエッグに、甘さが残るくらいのマヨネーズがたっぷりとからんでいて。ごはんというよりはちょっとしたおやつに食べるのが大好きだった。

一人暮らししていた頃に何度もチャレンジしてみたけれど、あ、これだ!と思えるものは一度も作れなかった。特に、たまごのやわらかさが出ない。親父が死ぬ前に聞いておけばよかったなと、いの一番に思いつくのはこのレシピ。叶うなら、もう一度食べたい。

親父は料理が上手かった。生きているときはそう思わなかったけれど、自分がパパになった今、ふと感じる。

たまごサンドはその代表格だけど、お惣菜屋で買ってきたコロッケとたまごを具材にしたコロ玉うどん、だいたい安定して同じ味で出てくるカレーライスなんかはいい例。

ホットプレートを使った料理にはうるさかった。お好み焼きも、焼きそばも、焼肉も。お肉の横のじゃがいものバターの乗せる量とかタイミングとかはすごくうるさかった。普段、料理なんてしないくせに、ホットプレートが出てくると張り切るのは、遺伝だろう。

親父との思い出は、ほとんどがごはんな気がする。

小さい頃に水泳をやってた僕は、親父がプールに迎えに来てくれていた。帰り道でちょっと買ってくれるアイス、一緒に晩ごはんを食べた和食系のファミレス。親父のことを思い出すと、必ずごはんが付いてくる。大会で遠くに出かけるときは、行く先々で何を食べるかの話ばかりしていた。

レースの前には、いつもコンビニで買ってきた日高昆布のおにぎりを食べさせてくれた。初めて出た大会でいい記録を出したとき、僕は日高昆布のおにぎりを食べていたみたいで、ゲン担ぎのように買ってくれてたらしい。僕はまったく覚えていなかったのだけど。

今でも、コンビニでおにぎりを買うとき、必ず日高昆布のおにぎりに手が伸びる。

僕がハタチになったときに、親父はポックリ死んだ。別れを惜しむ間もなく、僕は水泳の大会に向かった。荼毘に付されていたとき、僕はプールにいた。それが遺言のようなものだった。そして、その大会で僕は水泳を辞めた。

就職、独立、結婚。人生の節目に親父がいたらどんな話をしていたかなと思う。でも、子どもたちにあのたまごサンドを食べさせてほしかった。僕は作れないから。

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