その花の名前を知らない。

名前は不思議なものだな、と思う。

細かくちがいを見ていこうとすると、たくさん名前は出てくる。公園まで歩くだけでも色々な花に出会う。パンジー、ツツジ、マーガレット、ネモフィラ…。たくさんは知らないけれど、まだまだあるはずだ。

きっとお花屋さんであれば「ねぇ、あの花きれいだね」なんて言い方はしないはず。本来、「草」や「花」という名前の植物なんてない。それでも、わたしたちの日常会話では、それで通じてしまう。

ふつうに生活をしていて、知っておかないと不便な名前はそこまで多くない。大ざっぱな言い方をしてしまうと、春なら桜と梅、夏ならひまわり、秋はコスモスともみじ、冬はモミの木くらい知っておけば大丈夫なんじゃないだろうか。

実際には花の名前が何種類あるのかなんてわからない。ただ、全体から見たらほんの一部に過ぎないだろう。花に限らず、わたしはきっとほとんどの種類の植物や虫、動物の名前を知らないまま死んでいくんだろうなぁと思う。

たまにたくさんの名前を知っている人をうらやましくなるときがある。散歩をしているときに、鳴き声だけで鳥の種類を分かる人もいるし、通り沿いに生えている草花の名前が分かる人もいるだろう。

生物だけじゃない。星の名前を知っている人からしたら、夏の夜と冬の夜に見える空はまるでちがうものだろうし、電車を好きな人は次に来る電車が新型か旧型かでワクワクしたりするんだろう。

たぶん、全部に詳しい人はほとんどいない。みんな、自分の興味の範囲だけ、世界の解像度が高くなっている。何かに詳しい人の話は、聞いていて楽しい。全然知らないわたしに向けて、奥深さや楽しさを教えてくれる。

わたしは話を聞いているだけだから、その世界の扉を開けてすらいないのだろう。それでも、話を聞いていると、ちょっとだけ体験したような気分になれる。

名前は、それを呼んだり使ったりする人たちが命を吹き込み、生かしていくもの。

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