「下の名前を呼び捨てにされるのが苦手」と言っている人がいた。自分の領域を侵略されているように感じるらしい。たとえ、どんなに親しい人、それこそ旦那さんやお子さんでも嫌だと聞いて、人それぞれだなぁと思った。
名前の呼び方は人との距離感の表し方のひとつだ。仕事関係の人は苗字+さんづけで呼ぶ。友達は下の名前のあだ名や、ちゃんづけや君づけで呼んだりする。恋人と付き合ったら、呼び方を変える人も多いと思う。
わたしは圧倒的に「森本さん」と呼ばれることが多い。あだ名をつけて呼ぶ人もいるけれど、あまり定着しない。これはあだ名にしにくい名前というだけでなく、キャラ的なものもあるのだろう。
みんなからあだ名で呼ばれるような人は、人との距離感が近い人だ。いつも笑顔でいじられキャラだったり、年上にタメ口を使っても怒られない、愛嬌のある人が多い。いつの間にか相手の懐にするりと入りこんでくつろげるような人。
今までは「コミュニケーションの上手な人はうらやましいな~」で終了していた。自分は苦手だから仕方ない。合わないことを無理してやっても、相手に伝わって両方とも気まずい。事故になるだけだと思い「迷ったら、引く」が定着していた。
認識が少し変わったのは、最近のこと。「どうやって、踏み込まずに関係性をつくるの?」と聞かれたことがきっかけだ。え、そう言えば私はどうしているんだろう…。
考えてみると、私は「待ち」が基本スタイルになっていた。相手が近づいてくれるなら、自分も近づく。自分が近づいてみるときは、相手の反応を見ていた。それで、タイミングが合えばぐっと近寄ってみる。
いつだって「はじめの一歩」を踏み出してくれるのは相手だった。
これは「そういう人だから」で片づけていいものでもないだろうなぁ。色々な人に声をかけている人でも、最初の一歩は勇気を出している。拒絶されれば傷つくし、リスクを背負っている。
「これから、しおりんって呼ぶね。」と言ってくれた人がいる。近くなれそう、というタイミングだった。そのチャンスを逃さずに、グッとつかんで形にしてくれた呼び名だと感じた。
そういえば、最初からこの人は「森本さん」じゃなくて「しおりさんって呼んでいい?」と聞いてくれたなぁ…。
相手がどう返してくるのかわからなくても、わたしから踏み出す。「これから、あなたのこと○○って呼ぶね。」と言ってみるのか。
はじめの、一歩。