わけのわからない人生の垢。

ものごとを続けていくと、何かが蓄積してしまう。生活の垢のような、何かが。

胸をはって「〇〇をやっている」というよりは、「止めていないだけ」という状態になる。

ふとした瞬間に「まぁ、いっか」と手抜きをしたこと、誰かに呼ばれたときに忙しくて聞こえないふりをしたこと、あとで思い出して自己嫌悪に陥ったこと。ぜんぶ水に流したつもりでも、無かったことにはできない。

慣れてくると、よくも悪くもエネルギーを節約できるようになる。やってもやらなくてもいいけれど、やったら自分と相手が気持ちよく過ごせるひと手間を惜しんでしまう。

言い訳はいくらでも思いつく。疲れているから、これは自分の範囲じゃないから、別に相手だってすぐに忘れてしまうから。不要な回り道を避けて、ショートカットしたつもりなのに、なぜか体は重たくなる。

閉塞感に押しつぶされそうになる。

”おまえ、その頃には、わけのわからない人生の垢が積もって、服も真珠も自分にとって、今よりもうつくしく見えなくなるに決まっているんだ。問題はその垢だ。1カ所にとどまってはだめなんだ。いつも、いつも、遠くを見ているように生きなくては。”『白河夜船』よしもとばなな p.103

垢が積もったら、どうやって生きればいいのだろう。強制的にリセットするために、何かをブツっと止める?それはあまりにも無責任だ。積み上げてきたのは人生の垢だけじゃない。

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でも、投げやりなまま関わり続けることが本当にいいのだろうか。これは惰性というやつではないか?情がわいているから別れられない倦怠期のカップルみたいなものだろうか。

ただ、一つだけ言えること。今の私の目に、きっと真珠や服は大してうつくしく映らない。それは真珠や服ではなくて、わたしの目の方に問題がある。

そう、きっとこれは別れの予感。近いうちに何かしらの変化が訪れる。

新しい形になって続くのか、キッパリと止めるのかはわからない。今のままの形で、長く続くことはないんだ。

古いものを手放して、新しい風を感じたい。

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