近所の文具屋で買った厚手のファイルの中

スマホでもタブレットでもパソコンでも、ロックさえかけておけば隠せるなんて、本当にいい時代だなと思う。昔は隠す場所にも工夫とプライドが必要だった。

自分が部屋にいるときは何の問題もない。その部屋に誰も入れなければいいだけの話。見たり読んだりするのは、家族みんなが寝静まっていたり、誰もいなかったりというときだから心配もない。急な物音への対応はできてる。

学校に行ってるとき、休日遊びに出てるときはヒヤヒヤするけど、それで見つかったときは相手を褒めるしかない。リビングでテレビ見てるとき、急に家の掃除が始まったりすると、気が気じゃなくなる。そういうサプライズなんていらない。

今までで一番秀逸だったと自慢したくなるのは、近所の文具屋で買った厚手のファイルの中。すっぽりとハマった。国語、数学、英語と取り揃えてみたのは懐かしい思い出。プリントなんて、一枚もファイリングしなかったけど。

臆することなく、堂々とファイルを部屋の本棚に並べる。家族も友達も、その前を悠然と通るけれど、その奥には気づかない。スリルってこういうことを言うのか。

自分の部屋の本棚のファイルの中なんて、一人っ子家庭だからできた話かもしれないけれど、同世代だとそれぞれに自慢話と失敗談がたぶんあるはずで。思春期の痛い経験の共有は、仲良くなるための取っかかり。

「見つかってしまう」というところから始まる、学びの時間もある。捨てられて切なくなったり、先輩のものを取り上げられた後にどうフォローするかを考えたり。取り繕うって、たぶんこういうところから学んでいったはず。

お前にはまだ早い。現実はこんなことはない。親や先生からのこの二言で、大事な勉強もできる。ちょっとくらい現実を経験していると、なるほど、たしかに、ああ、そういうことかと妙に納得してしまう。

便利になると、人は考えることを放棄しやすい。何事も効率的に済ませようとする。遠回りした分の無駄は、将来の何かにつながっているかもしれないし、ただの無駄かもしれない。でも、その無駄の分だけ、何かしらは得ている。

ロックかければいいじゃんという時代に生きていなくて、個人的には良かったと思う。ただの思い出補正だけど。

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