偏見だと言われればその通りなのだけれど「占い」に対してあまりいいイメージがなかった。
たとえ「あなたの運命の人は2022年に現れます」と言われたって「そんなの占わなくても、もし、恋人が欲しいのなら今から動けばいいじゃない。」と思っていた。その上でいい感じの人がいれば付き合えばいいのだし。
そんな感じなので、私は雑誌の裏の方にある星占いもほとんど気にしないし、プロに占ってもらったこともほとんどない。友達に付き合って手相を見てもらったこともあるけれど、めちゃくちゃ外れていたのであまりいい思い出がない。
ところが、半年ぶりにあった友達が占い師になっていた。もともと占い好きなことは知っていたけれど、まさかプロになるとは思わなかった。占いの師匠に教えてもらって、先日プロとしてデビューしたらしい。「ウェブで鑑定しているから、ひまなときにでも」とURLも教えてもらった。
でも、ムクムクと意地悪な気持ちと、素朴な疑問が浮かんできたので、会話の流れで本人に聞いてみた。
「もし、好きな人の運命を占って悪い結果が出たらどうするの?」
「それ、すげえ難しいんだ。そうゆう巡り合わせならしょうがないって諦める場合もある。または、それで諦められるならそこまで想いが強くなかったんじゃないかなとなる。」
「なるほど。」
「けど、本当は自分がどうしたいのか。それを気づくために占う。妄信するわけではないんです。」
「おお、なんか安心した!」
「そういう運気があるっていうだけで、それに乗れるかどうかは自分の行動次第なのです。」
こんなやりとりがあって、占いを少しだけ好きなれた。私は占いそのものが嫌いなわけではなく、占いを行動しないための言い訳として使う人を苦手なだけだった。そのことに気づけただけでも、質問をしたかいがあったというものだ。
「なんだ、読書と一緒じゃないか。」とも思った。たまに本も「影響されたくないから」と読まない人がいるけれど、それは、本の力を過信しすぎている。本だけで誰かを洗脳することなんてできない。
一冊の本をきっかけに人生が変わることはあるかもしれないけれど、それはその土台がその人の中にあって本は表面化させるきっかけに過ぎない。内容をすべて鵜呑みにしてしまうとしたら、それはその人の問題だ。
表面的に見れば、ぜんぜんちがう人の話を聞いたというだけかもしれない。案外、掘ってみたら深いところでつながっていた。表面に出てくるまでで枝分かれをしているので、別の形に見えるだけなのかもしれない。
占い師の友人がすすめてくれた本を大切に読んでいる。「いや、それより占いに来てくれよ」って言われそうだけど。