怒りは自分のテリトリーを守ってくれる。

周りに「怒らない子ども」がいる。

周りの子に意地悪をされたとしても、仕返しをしない。やられたら、やられっぱなしだ。大好きなものを取られても返してもらえれば「よかったー、ありがとう!」とお礼を言う。ちょっと信じられない。暴力をふるうこともないし、恨みに思っている様子もない。

さすがに暴力を振るわれたら怒るかと思いきや、髪を強く引っ張られても泣いて逃げただけだった。しかも、その後も相手を嫌わなかった。近づくと「怖い!」と距離を置くことはあっても、笑顔で挨拶をし続けていた。ここまでくると、思考回路がよくわからない。

周りの子は「こんな無抵抗な子に意地悪をしたら、かわいそうだ…」と改心するかと思いきや、そんなことはない。相変わらず、ひまを持て余したときにからかっている。おい、良心はないのか。こういう姿を見ると、性悪説を信じたくなる。

当然、周りの大人はこの子の味方になることが多い。そういう意味では、この子の生存戦略と呼ぶこともできるけれど、何せやられてもやられっぱなしなのだ。とにかく、なめられてしまう。

逆説的な話だけれど、この子を見ていると「怒りって必要な感情なんだな…」と思う。

「怒る」人が相手だと、みんな攻撃しなくなる。子ども達は、周りの子どもだけでなく大人も含めて、誰がどのくらい怒りっぽいかをかなり正確に理解している。相手が怒るかもしれないギリギリを狙って仕掛けて、怒られなければエスカレートしていく。

「怒り」は自分のテリトリーを守るのだ。相手を攻撃するのは、威嚇の意味もある。これ以上は侵入するなと警告する。それでも侵入してくるときには、腹をくくって戦う人間なのか。それとも、口では強いことを言っても、戦わないのか。怒りを脅しとして使っているだけなのかどうか、行動も含めて伝わる。

基本的には、怒りっぽくない方が生きやすいはずだ。小さなことでも周りにクレームを入れる人や、しょっちゅう怒っている人はめんどくさい。腫物扱いをされて、周りから人が去っていく。それでも、その人は自分の要求を通しやすくするという恩恵も受けている。

怒りを完全にコントロールすることはできない気がする。それでも、怒りは自分の尊厳や周りの大切な存在を守るときに必要な感情だ。攻撃をしたり、相手を傷つけたりするのは自分も不快になるけれど、やらなくてはいけないときがある。

もっと、怒りを相手を攻撃する武術ではなく、護身術のように上手に使えないものだろうか。

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